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テイラー郡 (ウィスコンシン州) : ミニ英和和英辞書
テイラー郡 (ウィスコンシン州)[ていらーぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

テイラー郡 (ウィスコンシン州) : ウィキペディア日本語版
テイラー郡 (ウィスコンシン州)[ていらーぐん]

テイラー郡()は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州の北部に位置するである。2010年国勢調査での人口は20,689人であり、2000年の19,680人から5.1%増加した〔Quickfacts.census.gov - Taylor County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地メドフォード市(人口4,326人〔American FactFinder - Medford, Wisconsin - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。
== 歴史 ==
テイラー郡となった地域で記録に残る最初の出来事は1661年、ウィスコンシン地域がヌーベルフランスの一部になっていた時のことだった。オンタリオ州東部からヒューロン族インディアンイロコイ連邦からの攻撃を逃れ、ブラック川の水源近く、おそらくテイラー郡北東部のチェルシー湖周辺に逃げ場を求めた。フランス人イエズス会宣教師ルネ・メナールが五大湖地方を旅し、ミシガン州北部のキーウィーナー湾に達し、ヒューロン族が飢えていることを耳にした。メナールは健康を害しており物資も乏しかったが、ヒューロン族のいる所に行って洗礼を行うことに決めた。盛夏にメナールと1人のフランス人毛皮交易業者が出発し、ウィスコンシンの河川をカバノキ皮のカヌーで辿った。ヒューロンキャンプから1日進み、幾らかの物資を携行して、ある早瀬で仲間と別れた。その後メナールの姿を見た者はいない。メナールが消えた場所は、テイラー郡の南東隅、ビッグリブ川のグッドリッチより下流の谷であると考えられている〔Schmirler, A. A. A., "Wisconsin's Lost Missionary: The Mystery of Father Rene Menard", ''The Wisconsin Magazine of History'', Volume 45, number 2, winter, 1961-1962.〕。
1847年6月8日、開拓者や木樵よりも早く、1隊の測量者がメドフォードの南西で郡内に入った。現在ではクラーク郡から入ってきた"E"郡と呼ばれた所にあたる。彼等はアメリカ合衆国政府の依頼で動いており、第4基本子午線と呼ばれる南北の線を決め、その線から州内の土地が計測されることになった。森や沼を抜けて6日間働き、"E"郡南部を進み、現在のモンドーフローエージになっている流域を横切り、その後に北に進んで現在のプライス郡に入った。この部隊の長は旅の模様を次のように記した。
地域を抜けていくときに彼等やその他の測量士が森のアメリカツガ、キハダカンバ、サトウカエデなどの樹種を記録し、シロマツが総本数の4分の1ないし6分の1はあった。樹種の混ざり方は今日リブ湖の南東にあるガーストバーガーマツの叢林に似ていた〔Finley, Robert W.,"Finley's Presettlement Vegetation" , 1976, University of Wisconsin.〕。
この地域での製材業は1870年代に始まった。製材業者は川を遡り、春や初夏に松材を筏に組んで流し、ビッグリブ川からウィスコンシン川、南のブラック川を下り、西のジャンプ川やイエロー川からチッペワ川に進めた。
1870年代初期、ウィスコンシン・セントラル鉄道が、ステットソンビル、メドフォード、ウィットルジー、チェルシー、ウェストボロを通る線路と、リブ湖への支線を建設し、水には浮かべられない木材を運び出し始めた。
1875年、テイラー郡は、チッペワ郡リンカーン郡、クラーク郡の一部を合わせさらにマラソン郡の小部分を入れて、現在の領域が作られた〔http://www.genealogyinc.com/wisconsin/maps/〕。郡庁所在地はメドフォードに指定された。郡名は当時の州知事ウィリアム・E・テイラーに因んで名付けられた可能性が強い〔"Dictionary of Wisconsin History" , Wisconsin Historical Society.〕。
1902年頃から1905年、スタンリー・メリル・アンド・フィリップス鉄道(SM&P鉄道)が、ポリー、ギルマン、ハンニバル、ジャンプリバーを通り、郡西部に至る線を走らせた。1902年、オークレア・チッペワフォールズ・アンド・ノースイースタン鉄道(オマハ鉄道)が、ホルコームからハンニバルを通り、イエロー川沿いのヒューイ(現在は廃村)に至る線を通した。1905年、ウィスコンシン・セントラル鉄道がクラーク(現在はゴーストタウン)、ラブリン、ポリー、ギルマン、ドナルドを通り、スペリオル湖に向かう線を建設した。SM&P鉄道とオマハ鉄道は主に材木を運ぶ鉄道であり、木材を降ろした後は乗客やその他の物資を運ぶこともあった。材木が枯渇するとSM&P鉄道は1933年に廃線になった〔Nagel, Paul; (1979) ''S. M. & P. RY. The Stanley, Merrill and Phillips Railway''〕。
良い木材が無くなると、製材会社は伐採地の多くを農家に売り出した。農家は当初様々なことにトライした。牛乳、卵、牛肉や羊毛を売り、キュウリや豆を栽培することなどだった。間もなく酪農業が郡内の支配的な産業になっていった。1923年にはメドフォードに州内第2位の乳製品製造協同組合があった。酪農家の数は1940年代の約3,300軒がピークであり、1995年には1,090軒にまで減った。
郡北中部の伐採地は1933年にチェカメゴン・ニコレット国立の森の部分に指定された〔"Nicolet National Forest" 〕。モンドーダム・レクリエーション地域や他の森林地は、1933年に市民保全部隊によって開発された。市民保全部隊のキャンプは、モンドー、パーキンズタウン、および現在のジャンプ川消防塔近くにあった。今日、国有林や郡北東隅を抜ける氷河時代国立景観道路が通っている。
テイラー郡の初期主要産業は、丸太材、板材、屋根材の生産だった〔"1876 Account of Taylor County" , Wisconsin Land Commission.〕。大規模な製材所がメドフォードとリブレイクにあった。メドフォード、パーキンズタウン、リブレイクには革なめし工場があり、ツガの皮をなめし工程に使った。ウィットルジーには初期の煉瓦工場があった。その後産業は多様化し、乳製品工場、窓の製造業、プラスティック、食品加工などができたが、大半はメドフォードだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テイラー郡 (ウィスコンシン州)」の詳細全文を読む




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